momoca

活動報告

2022年04月27日

スタートしました!ありがとうございます!

こんにちは!
福岡県出身 RocCuteパワフルシンガーmomocaです。

昨日からスタートした初めてのクラウドファンディング、初日からご支援頂いた皆様本当にどうもありがとうございます!


私は2017年4月20日にmomocaとしての初ライブを行い、5年間活動してきました。
この5年、嬉しかったこと楽しかったことがたくさんあり、逆にコロナなどで色々と悲しい思い、悔しい思いもしましたが、こんな大変な時にも応援してくれるモモリスのみんなのおかげで、今も活動できています。

改めて、本当にいつもありがとうございます!

クラウドファンディングは皆様からお金を集めるということなので、正直挑戦する事に迷いもありましたが、「CD楽しみにしてる!」「リターンがお得感あって嬉しい!」などなど、たくさんの暖かいお声を頂き、今回こうしてみんなと一緒にCDを作れることを嬉しく思っています!



少し長くなりますが、せっかくの機会なので詳しい自己紹介や歌うようになった理由をお話しさせて頂きます。



福岡県の小さな田舎町で、私は産まれました。
父、母、年の離れた兄と姉と、いつも暖かく賑やかな家庭で育ち、両親の喧嘩など私は1度も見たことがありませんでした。

私が保育園年長さんの頃、兄と姉は当時中学生でブラスバンド部に所属していました。
その姉が学校から借りて帰ったトランペットを、家で吹いて遊んでいたのを覚えています。
この頃は、いつも笑顔で人見知りもしない、とても人懐っこい子供だったそうです。


小学校に上がると、これまた兄、姉の影響で、和太鼓を始めました。
地元のお祭りで、兄と姉が叩いていた、心臓が揺れるような力強い太鼓の音が心地良く、「私も絶対やりたい!」と思ったのでした。

家ではかなりのお調子者で、男勝りな性格でしたが、手芸クラブに入ったり、昼休みは読書をしたりと、外では恥ずかしがり屋で、物静かな子だったように思います。
ファンタジー系の本を読むのが好きで、作文や物語を書くのも大好きでした。


中学生になると、ブラスバンド部に入部。
テナーサックス、トランペットを担当しました。
ここである女の子に出逢います。

同じ部活でアルトサックスを吹いていたSちゃんは、歌手になるのが幼い頃からの夢で、当時はアイドル活動をしていました。
その頃の私の夢は、トリマー専門学校に通っていた姉を真似し、犬の美容師さんでした。

Sちゃんと遊んだりイベントを見に行ったりするうちに、いつの間にか彼女に強い憧れを抱くようになっていました。
Sちゃんは、学校生活やアイドルとしての活動などで、色々と大変な環境にありましたが、いつも一生懸命で、場を盛り上げ、人を惹きつける力がありました。


Sちゃんと仲良くなるのと同時に私は、いわゆる反抗期でやんちゃになってしまいした。
家に帰らず、兄や母が近所を捜しまわってくれたこともありました。

そんな毎日が続き、とうとう父に酷く叱られ、いつも明るく弱音も吐かない母の涙を見た時に、ありがちな表現ではありますが、「自分はなんて馬鹿なことしとるんやろう」と強い後悔を感じました。

兄は「おかんはいつも明るいけど、お前の事で悩んどるぞ。おかんの気持ち考えてみろ」と諭してくれ、姉も私を心配して話しを聞いてくれました。
いつもは優しい父も私に手をあげてまで叱ってくれ、母は私がどんなに自分勝手でもいつも笑顔でいてくれました。
「こんなに恵まれた環境におるんに、自分はなんでこんな我儘言っとるんやろう」
それから少しずつですが、私は変わりはじめたのでした。


そして、中学3年の文化祭。
同級生の男の子達がバンド演奏をする事になっていたのですが、その中で1曲、SKA PANK系の曲があり、トランペットソロがあるので吹いてくれないかと頼まれました。
初めてバンドでステージに立った文化祭は、かなり緊張しましたがとても楽しく、心地よいものでした。

それまで、吹奏楽以外の音楽にほとんど興味がなく、CDも買ったことのないような人間でしたが、この頃からバンド系の音楽を聴くようになりました。
姉の部屋にあったJUDY AND MARYのアルバムをもらい、それから何度聴いたか数えきれません。

文化祭ライブの後、「またステージに立ちたい!」と強く思うようになった私は、憧れのSちゃんの影響もあり、次は歌を歌ってみる事にしました。


そして高校に上がってすぐ、SHAKA LABBITSのコピーバンドを組みましたが、2、3回のライブで解散。

そのたった2、3回のライブで歌うことの魅力を知った私は、もっと歌について勉強したいと考えました。
高校は進学校だったためバイトは禁止でしたが、2年生の頃からこっそりと居酒屋のバイトを始め、そのお金でボイストレーニングのスクールに通うようになりました。

せっかく進学校に入ったのに「大学へは行かない」「センター試験も受けない」「歌手になるために頑張る」と決めた私は、学年主任と何度か揉めましたが、私の夢を理解してくれた担任の先生と、「やりたいんやったら、思う通りにやってみり」と言ってくれた両親のおかげで、自分の決めた道を進むことができました。

学校が終わると夜遅くまでバイト、休日はスクールへ。
ギリギリだった私は、朝なかなか起きられず、学校に毎日遅刻。
何度起こしてもなかなか起きない私に呆れながらも、いつも優しく起こしてくれた母に本当に感謝しています。

そして私は、高校2年、3年と、イベントで歌ったり、オーディションを受けたりしました。
とあるオーディションで最終選考まで残り、初めて東京へ...。
最終プレゼンテーションのステージで歌いましたが、その先は何もありませんでした。

「君は面白いんだけど、どうしたいのか、どうなりたいのか、どう売り出せばいいのかが見えてこない」

たしかに私は楽しいから漠然と歌っていただけで、明確なビジョンや目標、強い意志を持っていませんでした。

オーディションで一緒になった人達はメジャーデビューしたり、大きなステージに立っていたり...

「私はなにをしてるんやろう、このまま何も出来ずに過ごしてくんかなぁ...」


そのオーディションの後、

「何がいけなかったのか」

「なぜ私は歌っているのか」

「これからどうすればいいのか」

分からなくなってしまい、私は燃え尽きたかのように歌うことをやめていました。



そんなある時、コピーバンドでボーカルをやらないかと誘われ、数回ライブをしました。
テレビアニメけいおん!の放課後ティータイムのコピーバンドでした。

その時のキラキラした光景は、今も鮮明に思い出せます。
凄まじい熱気の中、みんなが笑顔で手を挙げてくれている。
知らない人同士がぎゅうぎゅうの狭い空間に集まって汗をかいて、普通なら不快なはずの状況で、心から笑っている。


知らない人と一緒にはしゃげる。
名前も分からない人の笑顔でこんなにも幸せな気持ちになれる。
ライブハウスってなんて素敵な空間なんだろう。
改めて感じました。


それから私のライブ活動に意味が生まれました。
聴いてくれる人の癒しに、励みに、エネルギーになりたい。
笑顔を届けたいし、私も笑顔が見たい。

いつか、けいおん!のような、アニメの主題歌を歌いたい。


そして、カバー曲を歌うだけでなく、オリジナル曲を作りたい。
自分の想いを伝えたいと思うようにもなりました。


このままだらだらと福岡にいても後悔すると感じた私は、それからすぐに上京。
引っ越したマンションの近くで、ギター教室の看板を目にし、すぐに通い始めました。

オリジナル曲制作、ライブ活動。
悩むこと、躓くこともたくさんありましたが、少しずつ、やりたかったことがどんどんできてきました。
そして2017年にmomocaに改名。
たくさんの仲間やモモリスさんに出逢えました。

笑顔は人を輝かせてくれます。

生きていれば悲しいことや嫌なこともたくさんあるけれど、笑える事があれば意外となんとかなったりする。

だったら自分の心に素直になって、行きたい道へ、笑顔になれる方へ進みたい。

クラファンをやることには不安もたくさんありましたが、どうしても、5周年にみんなと一緒にミニアルバムを作りたくて、チャレンジしております!

現在50%達成で、4曲入りのミニアルバムとなっています!

これから5月31日の最終日まで、1人でも多くのモモリスさんとこのCDを作れるように、告知をしていきます!

クラファンページもう見飽きたよー!wってなっちゃうかもしれんけど、見守ってやってください( ˊᵕˋ ;)💦

また、こちらの活動報告ページで、今後CD制作についてやリターングッズのデザインなど、支援者の方への相談・ご意見を聞く投稿などもしていく予定ですので、こちらも覗いて頂けると嬉しいです!



これからも、私と関わって下さるあなたへ、明日もまた1日頑張れるような、笑顔とエネルギーを届けられるよう頑張ります!

長い文章を読んで頂きありがとうございました!

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